プーケットのアロマ雑貨屋さん-Gochapan日記

♪タイのハンドメイド雑貨やアロマを取り扱ったプーケットにあるお店です♪ ゴチャパンの新商品、タイ旅行、日常的なことを日記にしました。

あっ、忘れてた!店長の自己紹介

はっと思ったのですが、このブログ、通販を運営しております私、店長の自己紹介もしておりませんでしたね。

大変失礼しました。

 

何のお役立ちにもならない自己紹介で大変恐縮ですが、お時間をいただけたらと思います。

私は、静岡の焼津市生まれ(母の里帰り出産です)で、横浜市で育ちました。

幼少のときに、父の会社の転勤で富山県に5年住み、父の本社勤務により、また横浜に戻ってきて、中学、高校は横浜の公立学校に通いました。

大学は、東京で、うちから1時間30分ぐらいのところまで通っていました。

私の人生が変わったのも、大学時代のアルバイトが大きく関わっているような気がします。

私が大学の時は、フェミリーレストランが大ブームで、ファミレスのウエイトレスとしてアルバイトを開始。

それが、私を接客もできるというように、導かせてくれたような気がします。

実は、私は、大学でも実験とかしている地味な学科で、接客業なんてとんでもないと思っていました。

手っ取り早く、お金を稼ぎたいと思い、24時間営業の深夜で働く仕事にしたんですよね。深夜は時給がいいですからね。

そのアルバイト先には、大学生もいれば、社会人もいました。

その人たちの影響もありましたし、元々、大学受験は世界史だったので、あの世界史の資料集に載っている建築物、世界遺産などを目の前で見たいという夢があって、アルバイト代が貯まったら、海外旅行に行っていました。

大学時代~社会人になって行った国は全部で23カ国。

卒業旅行は、エジプト、トルコ、ギリシャの旅14日間、バイト明けで、仮眠もせずにそのまま成田に向かったこともありましたね。

ねずみ年だからでしょうか?

なんだか、いつでも慌ただしくしていないと気がすまないというか。

海外旅行の醍醐味って何だと思いますか?

私にとっては、海外旅行で付き物の「トラブル」要は「緊急事態」だと私は思います。

海外旅行で23カ国もいってますので、必ずはトラブルに巻き込まれたりするんですよね。

そのトラブルを解決することが私は好きで、自分の自信にもなるわけです。

決して、もうだめだと諦めない、絶対出口があると思うのです。

何度もトラブルに巻き込まれているので、ちょっとやそっとでは、「パニック」にはならないんですよね。

今までのトラブルは、パスポート紛失、搭乗券紛失、荷物紛失、まあいろいろありました。

悪運が強いようで、なんとか日本に帰ってきておりましたが・・・

 

私が初めてタイに訪れたのは1997年、ちょうど「タイ国際航空」のTVコマーシャルが何度もやっていて、「タイは若いうちに行け」とか「あいつはタイに行った」とかキャッチフレーズの連呼。

それをみて、そうか、タイは若いうちに行くのかと鵜呑みにして、タイのバンコク&プーケット旅行に行ったのです。

タイという第一印象は、人懐っこい、誰にも親切で、「微笑みの国」そのままでした。

プーケットは、リゾート土地ですが、優雅な観光客の一面もあるが、一歩、屋台街に入ると威勢のいい活気のある声、あのガヤガヤとして感じ、そして、いつの時代と思わされるネオンの色。

なんか、昔懐かしいような感じで一度で魅了されました。

その後、バリにも何度も旅行に行きました。

 

バリかプーケットで仕事をしたいと夢に向かって、日本での高校教師にピリオドを打ち、単身で迷った結果、プーケットに渡りました。

 

簡単に就職先が決まると思ったら大違いです。

まず、地元タイの人とのコミュニケーションが取れなかったら、ちょっと・・・・という就職先が多くて、やっと決まったところが、アルバイトの日本料理屋さん・・・

ビーチの前で、暑い中着物着て、お店のメニュー説明、ご案内係でした。

私は、バイトでウエイトレスをやってきたから、ご案内係りに物足らなく、結局、すぐに辞めてしまいました。

その後、リクルートスーツを着て、パトンビーチの端から端まで、英文履歴書をもって、ダメもとで募集しているかを聞いたこともありました。

プーケットで友達になった友達が、いきなり募集していない場所に行っても、「当たって砕けすぎ」ということと、口コミで現地採用をしているところをいろいろな人と友達になり、情報収集したほうがいいということで、ちょうど日本人スタッフを探していたところがあったので、そこに就職が決まりました。

 

その就職先がやっぱり接客業で「老舗のスパでのゲストリレーション」でした。

タイ語も話せない、英語を少し話せます。だけの面接で採用してくれた社長に感謝します。

そのタイ人女社長は、日本語が少し話せたのです。

タイ語は、ここで仕事をすれば、必要に迫られて、話せるようになるからという理由だけで私を採用してくれました。

もちろん従業員が40人ぐらいいる中で、ひとり日本人ですから、話せなければいけない状態になり、当時はやっていた「指さしタイ語会話帳」というのがあってそれを片手に聞いて覚えて、発音分からなければ、聞くの繰り返しの勉強の日々で、8年間いたスパでは、日常会話が困らないタイ語を話せるようになっていました。

タイ語学校にお金を支払って、座学をするのは、性格上、無理だと思っていましたので、現地で使えるタイ語を無料で習ったことになりますね。

スパのスタッフパティーで、従業員最優秀に選ばれた時もありました。

朝早くから仕事をして、夜帰るのは夜中ということもありましたが、日本で12時間労働とか15時間労働とかやってきたので、そんなに苦ではなかったし、若かったからですかね。

8年間、勤めたスパは、娘の出産と娘と一緒にいる時間がないという理由で、退職することになりました。

最後には、マッサージの資格を取ることができて、ここでも8年間は、大変だったけど、勉強になりました。

何よりも、タイ語を話せなかった私を雇ってくれた寛大な社長に今でも感謝しています。

 

定時で帰宅できる就職先を探しており、ハーブショップで4年ほど、仕事をして、天然タイハーブの特徴、効能など学びました。

こちらも接客です。

4年目、体がだるいという症状を起こし、立ってられないこともあり、若年更年期障害かと思われて病院に行ったら、バセドウ氏病でした。

元気が取り柄の私が、まさかの病気になってしまい、そのときは相当落ち込みましたね。

もう、立ち仕事は無理かな・・・といろいろ考えて、オフィスワークに転職しました。

そこで、ホームページの作り方を学びました。

バセドウ氏病は、薬を飲んでいれば、問題なく日常生活をおくれます。

実は、こんなことってあるのでしょうか?

息子の妊娠と同時に、バセドウ氏病が治ったようで、首のはれも全然ありません。

その後、接客に戻れると自信がつき、ハーブ店に一時戻るも、自分のお店をいつか出そうという夢を叶えたいという気持ちが強く、一大決心をして、今のタイ雑貨&アロマのお店「ゴチャパン」をオープンすることができたのです。

 

ゴチャパンとうお店の名前は、5年ほど前からずっと決めており、そして、お店のロゴも既に5年前には出来上がっておりました。

 

私の自己紹介というより、「人生山あり谷あり」の話になってしまいました・・・

土曜日は、教員免許を大学の時に取得していたので、その経験を活かしていただけることになり、1週間に一度ある日本人補習校に日本語を教えています。

 

ですので、このブログのアップが遅くなってしまうのですよね・・・

すみません。ご了承くださいね。

 

これからも、「ゴチャパン」は頑張りますので、応援よろしくお願いします。

お客様のご意見やご要望を頂戴し、商品企画をしていきたいと思います。

今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。

 

最後にいい写真がなくて、古い写真になってしまいました。

非公開したいぐらいなので、3日ほどアップしてこの写真は消去しようかしら・・・

*店長はタイ人ではありません。日本人です。

 

店長 小野